キングオブコントの話題

来歴

1993年10月、2人の共通の知人であり、現在は『東京フレンドパークII』に従業員として出演している西秋元喜の呼びかけにより、日村・設楽と西秋の元相方を含めた4人グループを結成したのが2人の出会いのきっかけ。当時、日村は高校の同級生と組んでいたコンビ『陸上部』を一方的に相方から解散させられ、ピン芸人としての活動も殆どすることなく、新しい相方を探している状況ました。一方の設楽は、渡辺正行の運転手をしながら相方を探していました。そんな2人に西秋から声がかかったわけです。西秋の名前は、今でも『バナナマンのキューピット』『バナナマンの恩人』として、2人の話に挙がることがあります。

4人での待ち合わせはアルタの裏。ところが設楽は、そのグループの2回目の稽古で、西秋とその相方がつまらないことに気付きます。その日、日村の家に寄った設楽はそこで「(2人を)切るか」と話し、その翌日に西秋を呼んで脱退の意思を伝えました。これが事実上バナナマン結成の瞬間です。結成の夜、設楽の家に泊まることになった日村は、一度消えた部屋のあかりを再びつけ、何を言い出すのかと思いきや、「オレたち、これから凄いことになるぜ」と、真顔で話し、設楽は突然の告白に戸惑いを隠せなかったといいます。1994年2月、「設楽日村」の名でラ・ママ新人コント大会でデビュー(ネタは「パピヨン病」)。同年春、バナナマンと命名、OFF・OFFシアターにて初単独ライブ『処女』を開催。当時、単独ライブをやる芸人はました。当時、「タモリのボキャブラ天国」全盛期ましたが、出演はしていました。

1999年、ラフォーレミュージアム原宿でYOUとのユニット「FULL CHAMPION STYLES」を決行。2000年、ラーメンズとのユニット「genico」を決行。

『虎の門』(テレビ朝日系)の企画「話術王決定戦」において、日村が第2回、設楽が第3回の優勝者となりました。

2000年12月にスタートした宝島の地図シリーズには全シリーズに出演していました(ただしレギュラー扱いは第6弾までで、第7弾・第8弾はゲスト出演)。また、第6弾のニセ宝島の地図では「ニセバナナマン」に扮して漫才や手品など普段やらないネタを披露していました。2001年には『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』で行われた「ウリナリ解散総選挙」に立候補するも予備選で落選したためレギュラー獲得はならました。

2005年に『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日系)の企画「コンビ解散ドッキリ」に出演。この番組を見ていた他局のプロデューサー数人から声がかかり、ネタ番組以外の番組に出演するきっかけの1つとなりました。

2007年元日放送の第20回『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で日村はカンニングの竹山隆範と共に初優勝しました。同年1月31日にTBSで放送された特番『激突グルメ芸人料理王決定戦2007ウマイド美食祭り!』では設楽が見事初代料理王に。100万円を手にします(賞金は日村と折半した)。同年3月18日、中京テレビで放送された番組『ウルダン』にて見事3代目チャンピオンに輝き、金のアタッシュケースを手に入れました。

2007年3月、タバコの不始末が原因で設楽の自宅が火災に見舞われ、火災発生の6時間後に収録された『ザ・イロモネア5』で詳細を話しましたが、当初スタジオは引き気味でました。しかし、その後火災ネタで笑いを取り、最後のチャレンジである喋りNGの「サイレント」において、火災でドロドロに溶けた携帯電話を取り出して全員を笑わせ、見事100万円を獲得しました。

2008年10月に行われたキングオブコント2008においては、最高得点を獲得し決勝戦まで勝ち進みましたが、決勝戦ではバッファロー吾郎に敗れました。なお、翌年の2009年度の大会には参戦していません。不参加の理由については『バナナマンのバナナムーン』において「4分という短い時間で使うことのできるネタがないため」と述べています。

2009年8月、バナナの地位向上に貢献したとして日本バナナ輸入組合主催の第4回「勝手にバナナ大賞」を受賞。コンビとしては初戴冠である